これまで、恋愛依存に気づいてから自分と向き合ってきた話をしてきましたが、今日は少し違う形で、私が救われた本を2冊紹介したいと思います。
「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」、アドラー心理学を対話形式で解説してくれる、あの有名な2冊です。
「嫌われる勇気」は、知識で終わっていた
「嫌われる勇気」自体は、実は数年前に読んでいました。
本の中に出てくる「課題の分離」という考え方も、当時から知識としては知っていたんです。ただそのときは、家族や友達との人間関係に当てはめて「これができると人間関係がラクになるんだろうな」くらいにしか思っていませんでした。
なぜなら、当時の私は自分が恋愛依存だということに、まったく気づいていなかったからです。
知識として知っていることと、自分の恋愛に当てはめて考えることの間には、大きな差があったんだと思います。
恋愛依存に気づいてから、続編を手に取った

今回、自分が恋愛依存だったと気づいてから、続編にあたる「幸せになる勇気」を読んでみました。
正直に言うと、「課題の分離」だけだと「あなたはあなた、私は私」という感じで、少し冷たく感じてしまうこともあったんです。でも「幸せになる勇気」では「共同体感覚」について書かれていて、課題を分離したあとに、どうやって一緒に未来を作っていくのかが書かれているんじゃないかと思って、読んでみることにしました。
実際に読みながら、もう一度「課題の分離」について、自分の恋愛と照らし合わせて考え直してみたんです。
そこでたくさんの気づきがありました。
彼の境界線に、土足で踏み込んでいた
私は、彼との関係の中で「課題の分離」がまったくできていませんでした。
彼が大切にしている気持ちや考え方に対して、「愛してるなら変えてよ」と、自分の思い通りにコントロールしようとしていたんです。
話し合いのとき、彼が残念そうな顔をしていたのを、今でも覚えています。
今思うと、当時の私からは知らず知らずのうちに「私を最優先に扱ってよ、気にかけてよ、愛してるなら当然でしょ」というような雰囲気が滲み出ていたんだと思います。
なぜかというと、私自身も自分より彼を優先することが当然だと思っていたからです。「私だけにして」というより、「私もこれだけしてるんだから、あなたも当然してよね」という感覚に近かったのかもしれません。
お互いにわかり合えない、その感覚がすごくつらかったのですが、それは私が彼に依存して、執着して、コントロールしようとしていたからなんだと、今なら分かります。

同時に気づいたのは、彼は私のことを一度もコントロールしようとはしなかった、ということです。
彼はちゃんと自分の意思を伝えてくれていて、やりたくないことは「やりたくない」と言っていました。それなのに私は、それを「彼の愛が足りないせいだ」としか受け取れていなかったんです。
これに気づいたとき、本当に反省しました。それで、彼に謝りたいという気持ちから、もう一度連絡することにしたんです。
寂しさを埋めるためではなく、純粋に謝りたいという想いから連絡して、そこから新しい関係がまた始まりました。
自分自身の境界線についても、考えるきっかけになった

これは彼の境界線の話ですが、同時に、自分自身の境界線についても考える機会になりました。
今までの私は、自分の境界線がすごく曖昧で、そこに誰かが踏み込んできても、我慢するか悲しくなるだけで、どうしたらいいのか分かっていませんでした。愛している人になら、境界線の中に入れてしまうのが愛だ、というような感覚さえあったんです。
今思えば、私はずぶずぶの共依存になりたかったのかもしれません。そうすれば、簡単には別れられない、離れられない関係になれるからです。
でも、自分を大切にすると決めてから、自分の境界線は自分で守っていいんだと気づきました。
無理に人を境界線の中に入れなくていいし、自分が大事にしているものを、相手のために変えなくてもいいんです。
「ありのままを受け入れる」が、私にはできていなかった
「幸せになる勇気」の中に、「ありのままを受け入れる」という言葉が出てきます。
これを読んで、私は彼のことをありのままに受け入れていなかったんだ、と気づきました。尊重や尊敬、平等という言葉の意味についても、あらためて深く考えるようになりました。
本の中では、ありのままを見て、裏切られるリスクも含めてそのまま受け入れることの大切さが書かれています。この「裏切られるリスクも含めて」というのが、私にとってすごく大事なポイントでした。
ここでいう「裏切られる」というのは、相手が裏切ろうとしているとか、ひどいことをしようとしているという意味ではありません。自分の中に期待があるから、それに反する相手の行動を「裏切り」だと感じてしまう、ということなんです。
そして、期待をしてしまうこと自体が、相手をありのままに見られていない証拠なんだと思います。
彼は彼のために生きている、私は私のために生きている
彼は彼のために生きていて、私のために生きているわけではない。そう理解できたとき、期待をすること自体に意味がないんだと思えるようになりました。
彼は、私がしてほしいことをするために生きているわけではないからです。
同時に、私も私のために生きている、彼のために生きているんじゃない、とも思えました。
だから、自分の時間をもっと楽しんでもいいんだ、と自然に思えるようになったんです。
課題を分離した先にある、「そばにいる」というかたち

今は、自然に「課題の分離」ができるようになりました。
彼が何かに困っているとき、「これは彼の課題だな」とまず分離します。そのうえで、共同体感覚として「私に何か手伝えることある?」と聞いてみるんです。「何もない」と言われたら、それ以上は踏み込まず、見守るだけにして、そばにいます。
これは、関係ないから放っておく、ということではありません。
彼が必要としていないのに先回りして手を出さない、でも、いつでも助けを求められる場所にちゃんといる、という感じです。
以前の私は、「なんとかしてあげなきゃ」「先回りして助けなきゃ」と思い込んでいました。でも実際には、それは彼の課題に土足で踏み込むことだったんだと、今は思います。
よりを戻してから、彼の言葉が変わった
よりを戻してから、彼から今までとは違う言葉が出てくるようになりました。
もともと愛情表現が豊かな人で、以前から「愛してる」とよく伝えてくれていたのですが、今は「君といると安らぐ、すごく安心した気持ちになる」と言ってくれるようになったんです。
今の彼に、してほしいことも期待することも、何もありません。ただ彼がいてくれるだけでいいと思えるし、彼と会えない時間も、自分で楽しめるようになりました。
私の依存や執着が消えたことで、彼も楽になったのかもしれません。
まとめ

「嫌われる勇気」は、恋愛依存に気づく前に読んでも知識で終わってしまいましたが、「幸せになる勇気」は、自分の恋愛経験と重ね合わせることで、たくさんの気づきをくれました。
課題を分離すること、そのうえでありのままを受け入れること、そして共同体感覚を持って寄り添うこと。
この2冊は、恋愛依存から抜け出した後の私に、次の段階の生き方を教えてくれた本でした。
もし今、恋愛依存で苦しんでいる方がいたら、まずは「嫌われる勇気」を読んでみて、ぜひその後に「幸せになる勇気」も読んでみてほしいなと思います。
同じ「課題の分離」という言葉でも、恋愛依存に気づく前と後とでは、まったく違う意味を持って心に届くはずです。
※この記事は、本の中の言葉を私自身がどう受け取ったか、どう感じたかをもとに書いています。
言葉の使い方やニュアンスが、本来の意味と少し違って伝わっている部分もあるかもしれません。
本の解釈は人それぞれ違うものだと思うので、その点はご了承いただけたら嬉しいです。
気になった方は、ぜひ実際に本を手に取って読んでみてくださいね。

